―和訳―
【1_275 そこから発し、乳母代わりの雌狼を怖がりもせず、その黄褐色の体の下で庇護された】【1_276 ロームルスがこの民族を引継ぎ、そして軍神マルスに捧げるだろう、】【1_277 その城址を。そうして、その民族を自らの名に因んでローマ人と呼ぶことになる。】【1_278 このように現れる者達に、私はその統治の行く手に折り返すべき所や時を置かない。】【1_279 既に終わりの無い統治の権限と使命を与えてあるからだ。それどころか苛酷に振る舞うユーノーも】【1_280 今は、海や陸や天をもその恐怖でしつこく苛んでいるが、】【1_281 その考えをより良い方向へと引き戻し、私と共に慈しむことになるのだ、】【1_282 世界の主となったローマ人を、言い換えれば、その平時の服トガで暮らす世界の市民を。】【1_283 そのように決定されているのだ。やって来るだろう、国勢が監察され清められる区切りの歳月を重ねた後に、次の如き時代が、】【1_284 即ちトロースの子アッサラクスの家系の者があのアキッレスの生地を、そしてトロイヤ戦争の総大将アガメムノーン王を出した名高いミュケーナエを】
【1_285 攻めて屈服させる時が、つまり、あのアルゴスの人々が戦いに敗れ統治下に置かれる時が。】【1_286 そうして生まれ来るのだ、輝かしい血統たるトロイヤ人に発するカエサルが。】【1_287 それはこの者が大地を取り巻く大海を統治の、高天の星々をその名声の、及ぶ果てとし結末をつけるためなのだ。】【1_288 その氏族の名、ユーリウスこそ、偉大なるイウールスより発し、長き雌伏を経て受け継がれてきた名前である。】【1_289 この者は重い神意を担い東方世界にて多くのものを勝ち取る。そして、その者をお前がやがていつの日にか天へと】【1_290 迎え入れる時、見守る心労から解かれた安らぎを得るだろう。実際、同様に、彼が、その名を呼ばれ祈願される立場の、人々を見守る神となる。】【1_291 その時、一世紀の間、残酷に振る舞った人々も戦争の終結と共に柔和になるだろう。】【1_292 イタリア古来のフィデースが信義のことを、トロイヤのペナーテースと融合したウェスタが家庭・国家のことを、兄弟のレムスと和してクィリーヌスが共に戦争のことを、】【1_293 法として授けるであろう。そうして、おぞましきそれが、鉄によってきつく結合されて】【1_294 閉ざされることになる、即ち、戦争の門が。その時、その中でオリュンポスを解しも敬いもしない原初の狂暴が】【1_295 荒々しい武器から離れてその奥で身じろぎもせずに、百本の青銅の鎖で堅く】【1_296 後ろ手に縛られたまま、断末魔の如き咆哮を発するだろう、その口が血塗られてなお血に飢える様で。】
―文意に関わる特徴的韻律―
【その1: 1_279, 278】統治の世界展開とlabor、そしてユーノー
1_279[DDDSDS|PPAPAA]と1_278[DSSSDS|AAPPAA]の2行及びその前後の詩行は、あたかも「ローマ民族は苦労なく自動的に無限の領土を無限の期間、限度の無い支配権で享受する立場にあり、至高神がそれを保証している」かのように読める。しかし、これら2つと同じ主・従韻律を持つ詩行を冒頭の1_1からここまでの中から抽出しその含意を考察すると異なる風景が見えてくる。【1_279と同じ1_23の場合:「自らの価値観による世界秩序」はユッピテルの定めにより成就しないと知りつつも、それに反した者の抹殺と従う者の庇護を追及して止まない「サートゥルヌス追放後オリュンポス体制」の重鎮たる女神ユーノー】 【1_278と同じ1_47, 69, 86, 135の場合:1_47「ユッピテルと特別な関係があっても、成就できないことがある(姉・妻のユーノーでさえ)」、1_69, 86「芥子粒のような人間にとってユーノーの怒りは制御不能であり強大である」、1_86「 アフリカからの暴風で荒波が押し寄せるのはあのイタリアの対岸かと示唆(ハンニバルの侵攻)」、1_135「力に驕る者も上位の神の前ではなす術もない」】
1_279に対して1_23の内容は見事に呼応しており示唆的である。このことは、ローマとローマ人の誕生を歌う1_277と「今」ユーノーが荒れ狂っていると歌う1_280が同じ主・従韻律で繋がっていることからも示唆される。即ちユーノーが心を変えてローマ人を愛でるのは1_282に示されるようにローマ人が世界の主人になった時であり、そこまでの1_278, 279の進行過程は1_280「nunc」たる「今」の状況が続くと思われる。では如何にユーノーは心を変えてローマ人を慈しむ(1_281)ことができるのか。それは、1_282の世界は、最終的に唯一つローマが覇権を確立した世界だからである。他の選択肢が無くなることに止まらず、そもそもユーノーの存在理由は「世界の秩序と安定」の守護神であると推測され、それ故に「世界」そのものとなった「ローマの秩序と安定」を守護することがまさに存在理由となるからであろう。
ただし、ローマが「王国の再興」をめぐる「内部抗争」においては、ユーノーの価値観からその制裁と攻撃が起こるであろう。ユーノーにとっての最大の不正義は、ユッピテルの贔屓を良いことにあの傲慢・不敬な秩序破壊行為を行った者、抹殺されるべき者、即ちトロイヤの血筋の者によるその「王国」の再興だと思われる。ユーリウス・カエサル・アウグストゥスがアクティウムの海戦を戦う時の[8_679 cum patribus populōsque, penātibus et magnīs dīs ||DDDDSS|APAAPP]の個所において主・従韻律の最大限の破格表現によって示唆されるように、ユーノーは敵方のクレオパトラと共にいると考えられるのである。内戦でユーリウス・カエサル・アウグストゥスが攻撃されたのも「カエサルこそがトロイヤ王になり世界の支配者たらんとする者」と見なされたためであろう。
ここで、このユーノーの有り様はユッピテルの世界秩序確立と維持の設計図に組み込まれていると思われる。それは、「7_293 ‘heu stirpem invīsam et fātīs contrāria nostrīs 294 fāta Phrygum! 」の場面でユーノーが己の運命にプリュギア人の運命が対立すると憎しみを込めて語るとき、両者の運命は共に「fāta」という至高神ユッピテルの神意として歌われているからである。それ故に、ユッピテルが、トロイヤの血筋たるユーリウス・カエサル・アウグストゥスに向かって「ローマを、トロイヤ人が王として諸民族を支配する王国にはするな」と命じていることになる。実際1_65においてユーノーは、ユッピテルを、その第6詩脚で「hominum rex」の語詞で表し、かつそれを従韻律「P」の破格で強調している。「全人類の(真の)王はユッピテルなのだ(託された人間ではないし、ましてやトロイヤの血筋の者では決してない)」と釘を刺していると思われる。(そして確かに、現実世界でもアウグストゥスは「王」にはならなかった。)
そのユッピテルの王としてのあり様は「10_112 rex Iuppiter omnibus īdem.」のように「万人に公平なもの」であり、一方のローマは「6_781 illa incluta Roma 782 imperium terrīs, animōs aequābit Olympō,」のように「統治は世界に及び、その精神はオリュンプスと等しく高い」と歌われ、従って「オリュンプスのユッピテルと同じ高潔な精神の有り様で、即ち万人に公平に統治行うだろう」と歌われていることになる。
1_278と同じ主・従韻律を持つ4つの詩行(1_47, 69, 86, 135)が示唆する内容は、このようなユーノーをローマ人の統治の監視役とするユッピテルの世界秩序の設計図と整合する。即ち、「ユッピテルとの特別な関係に驕ってはならない」「ユーノーの怒りを畏れよ」「ユーノーの怒りと攻撃をユッピテルがいつまでどこまで許容するかは人間には計り知れない」ということである。あくまでもユッピテルと、そしてユーノーに対してもpietāsを求めている。冒頭行からここまでのimperiumに関わる支配の描写は二つ出てくるが、権力行使の「強力な武器」として、風の支配者アエオルスはsceptrumとcuspisを持ち、ネプトゥーヌスは恐るべきtridensを持っている。しかし、ローマ人に与えられたのは「imperium sine fīne」であって、「imperium cum」例えば「 tridente」ではない。突き詰めれば、ユッピテルの神意への揺るぎないpietāsだけが彼らの力の源泉なのだと思われる。即ち「運命のhonorは、laborを前に揺るがない敬神の心(pietās)、ユッピテルの担わせた務めを理解し受け止めること(pietās)、その成就に向けて、本源的生命エネルギーたるamorとfurorを原動力としつつもpietāsで導き、virtūsを持って前進することを求める」ということである。※ユーノーの正義から暴走するFuror、ウェヌスの生みもし殺しもするAmor、ユッピテルの全てを統合する神からのPietās。
【その2: 1_286】SSSDDD:均衡や対峙、それへ向けた希求・企て・動き等を表現
【その3: 1_288】DSSSDS:S三連続で長い雌伏期間の介在を表現
【その4、5: 1_287, 289, 290】ウェヌスの安心の深い背景
【その6: 1_296と1_276】Furorの行く末
1_296 においてFurorはがんじがらめに拘束されているが死んではない。
戦争の門は1_294で厳重に閉ざされた。では二度と戦争の門は開かないのだろうか。それを解くカギは、この一連の運命をユッピテルが開陳する段で、その最後を飾る1_296とローマ建設の1_276が同じ従韻律で呼応しつつ、主韻律がD/Sを入替えた関係になっていることだと考える。即ち、ロームルスは兄弟を殺してローマを建設した。そして、戦いの神マルスの非情さが畏怖を呼び戦争の門が聖別されたが(「7_607 sunt geminae Bellī portae (sīc nōmine dīcunt) 608 rēligiōne sacrae et saevī formīdine Martis;」)、ローマはそのマルスへ捧げられた。つまりローマは非情なる人殺し(戦争)と密接に関わって出発したのである。しかしそれが180度入れ替わったと1_296は主韻律のD/S入替に載せて歌っている。「戦争との決別」の文意が、このローマの始りと結末の韻律の呼応・入替で一層強調される。ユーリウス・カエサル・アウグストゥスが存命中に書かれたこの作品は、彼の死後の神格化をも歌っているがそれは宣託であり、この強調された「戦争との決別」も「彼の閉じた戦争の門を地上の人間が二度と開けることの無いようにせよ」という後代への宣託として詩人は歌ったのだと考える。それがユッピテルがアエネーアース(トロイヤ戦争を含む)から約1000年かけて準備し到達した「戦争との決別」と、歴代のその子孫がユーノーの使命からの攻撃を乗り越えて獲得する「animus aequātus Olympō」で担う「imperium sine fīne」の重さであると。「fremet horridus」をFurorの断末魔として歌うか否かは我々読み手次第だと。
以上
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